息ができなくなりそうなの。助けてほしいとか、そういうことじゃなくって、ただいつもの空気より酸素濃度がとても薄いってだけ。違いなんてわかりきってる。あの人がいない。私が呼吸をするための酸素を供給してくれるのはあの人なのに。
浅ましく水面に浮かんで餌を乞う鯉みたいにくちパクパクさせても、ないものはないのだから意味がない。この息苦しさをあとどれだけ我慢すればいいのか、それもわかってる。我慢することを強要されているから。だから本当に意味がないのだけど、しないわけにはいかない。だって私は、鱗がなく鰭もなく鰓で呼吸しない私は、みたいではなく浅ましいこいそのものなんだからお似合いの動作をしなければいけない。
怠惰的に冷たい床に寝転び、しめられた扉と天井をぼんやりと視界に入れる。弛緩したようにだらりと投げられた四肢はお飾りみたいなもの。唯一動かしている口だって忙しなくはない。
ああ、この部屋を去った時のサディスティックな笑みが忘れられない。脳裏に焼き付いて離れない。にっこりと弧を描く口元、いっそ熱さを感じるぐらいに冷え切った目、優しく触れてくる手、呟かされる言葉は静かな罵り。全部、全部、私に向けられたもの。私だけのもの。心臓を押しつぶされるぐらいの快感に体の奥からじゅわりと何かがあふれ出す。
あの感覚を味わうためなら、この程度の息苦しさすら快感に変わる。あと6時間と47分と28秒後にきっと扉は開くから。あの人は約束を守る人、だから私も約束を守らなきゃいけない。だから扉に触らない。動かない。見ない。許されていることは呼吸をすることと脳をほんのすこしばかり動かすすなわち思考すること。
脳にかすかに残ってるあの人に出会う前の私が、これは軟禁だと叫んでる。逃げ出すべきだと警鐘を鳴らし続けてる。ふとしたときに、この叫びは警鐘は頭痛を呼び起こすぐらい酷くなった。きっとその呼び方は正しい。四肢は自由だ、扉に鍵がかかっていないことも知っている、だからこの部屋が外部の接触をすべて断ち切っているものだとしてもこれはけして監禁ではない。同意の上に成り立つ、互いの利益が一致した一種の生活環境なのだ。
それが普通ではないということも私は知っている。
これが異常であることも私は知っている。
それでも私はこの真っ白な水槽を連想させる部屋で弛緩させた四肢を投げ出してた意味のない開閉を繰り返してだひたすらにあの人を待つの。私の生きる源の酸素をくれるあの人を。